帰っていった。


 杉浦日向子さんが亡くなった。いきなりだ。表面的には多少は江戸風情の残っていた昭和の東京もあらかた終わっちゃって、そのあとの平成のこんな風情も、あたしにゃ似合わねーやとそっぽをむき、やっぱり江戸にかぎるぜい、とトンズラしたっていう唐突さがあった。
 ずいぶんまえに東京あたりではやった隠居ブームは、彼女の影響があったかもしれない。昨今はやりのスロー云々なんてのも、彼女のアンテナ感覚がすでに言い当てていたといまになれば思う(エンデの『モモ』なんてのも、地域は違えど)。実はけっこういそがしかったりするカントリーライフ=田舎暮らしを思えば、本人の存在感の、なんとスローでゆるやかであったことかと思う。あっぱれ。
 中沢新一の近著『アースダイバー』は、縄文海進期まで東京を潜っていく。10年以上前、江戸のころを東京の現在に見る、地図歩きとフィールドワークをやったことがあるけれど、個人的には江戸という都市がつくられていく、うんと手前に見える、地質的な成り立ちとが、そこに暮らす人々に与える影響が面白いなあ、と思っていた。
 杉浦日向子の江戸マップ、中沢新一の縄文マップ。遠野に暮らしていると遠い東京だけれど、ふたつの地層マップがあることだけで、いまでもじゅうぶん、ゆたかな生態系を感じることができる。そんな感覚をすこしは共有できている。それを保つことによって、遠野の地層マップに接触ができるかもしれないし。
 江戸時代をいまにフイと持ち込み、怪しいことを怪しいことのまま漫画にした杉浦日向子さんは、遠野で、「…不思議なことがあるもんでやんすよ…」と語るオンチャアと一緒だな。そういうオンチャアやバサマやジサマこそ、ぼくが遠野で出会った最大の不思議だ。彼女は遠野に来たことはあったのかなあ。