東北ツーリズム大学、2004年度、終了

 東北ツーリズム大学、なる名称のわれわれの使命=仕事=企画=実験の一年目が終了した。大学、なので、学ぶ人と教える人がいて、それぞれの内容を詰めることが仕事だったし、そのキャンパス(学び舎)をその都度、舞台として作り上げることが仕事だった(なぜなら東北ツーリズム大学に常設会場はないので)。ジプシーを連想させるサーカス一座、流浪の演劇集団というほどではないが、基本的に、移動した先がキャンパスである、というのはわれわれの企画や考え方に似合っていると思う。
 さっき、学ぶ人と教える人がいて…、という書き方をしたが、それはかならずしも、この企画に望まれていることではない、というのも発見だった。資格として、なにか現実的に有効な権威があるわけでもないわれわれの試みは、権威ある知識が伝達されることを望まれているわけではない、ということだ。専門学校がテリトリーしているプロフェッショナルな技術と知識を求めている場ではない、という端から実は分かりきっていた(あるいは予感していた)ことを改めて実感した。双方向性、という言葉が座りがいいのかもしれないが、多少ピンボケしているなあ、と思いつつ、なんて言えばいいのだろう、学ぶ人と教える人の互換性というようなことが、それぞれの人たちの感受性(アンテナ)に受信しやすくなっている状態をつくりだす、そんな感じが望まれているのかな。対話。この言葉が一番ぴったりくるかもしれない。
 東北ツーリズム大学のなかでもっとも盛り上がる時間は夜の飲み会で(交流会、というもって回った言い方をしているけれど)、ここでは、構成メンバー全員が一致して盛り上がっている、というよりは、それぞれの局面で、2人、3人、もしくは4人程度で、時間限定的、人数限定的に話題から話題へあっちへこっちへ飛び回りながらスピードと親和性を増していくプロセスが同時多発的に勃発している。もちろん、飲み会そのものがそんなものだということではあるけれど。
であれば、東北ツーリズム大学は、言ってみれば2泊3日の合コンだな(合コンなるものを経験したことがないのだけれど)。おとなって子供のようには、仲良くなることがすぐにはできないので、一緒に勉強したり、一緒に実習したり、一緒に仕事をしたり、一緒の部屋に寝泊りしたり、一緒に酒を飲んだりして、ちょっともったいぶりつつ、新しい仲良しを、いい年こいてつくろうとする。東北ツーリズム大学はそんな大人の余暇=暇つぶし=贅沢ともいえるかもしれない。あんまりクローズドだと嫌だけれど、仲間内、といえるような感覚を共有できそうな人たちと(しかし年齢も、生まれも、性別も、職業もまったく異なる人たちと)知己を得る、というのは嬉しい話である。特にいままで知らなかった分野や世界で活躍している人たちと心置きなく語り合える関係をつくることができるなんて、けっこう贅沢な話だ。
 たとえば今回、そういう話として頻繁に話題に出た人に2004年の東北ツーリズム大学の7月講座に来ていただいたサービス・コンサルタントの福島規子さんという方がいて、彼女のような観光とサービスの先端の人という異分野がツーリズムという似ているようで非なるエリアと接触することによる化学反応が斬新だった(お互いにそうであればいいけれど)。彼女が新しい視点(視座)と経験に基づいた言語的な表現をツーリズムの関係性に対して与えることによって、ツーリズムの運動の軌跡が、世間に通じる言語表現、説明の仕方を獲得できた一番最初をわれわれは目撃できた(なおかつプレイヤーでもあった)と思うし、そのような座標軸を持つことができる、という可動性の増大が、心にゆとりを与えてくれたと思う(詳しい内容についてはここでは省くが)。我々のスタッフの田村君(通称タム)も、そういう意味では新しい世界にやってきた異邦人であって、本人はいろいろ大変だったと思うけれど彼がいることで運営は楽しく、なおかつ落ち着いたものになった。もうひとりのスタッフにチヨコさんという人がいて、彼女はぼくらの仕事にとって欠くことのできない、ユニークな存在でいてくれている。本来であれば割りと淡々と時間給のなかで与えられた仕事を迅速かつ有能に、なおかつ感情や感性を出さずに黙々とこなせばいいポジションなのだろうが、運悪く、われわれが無能なので、あーだこーだお願いして、いまや正規の乗組員としててきぱき動いてもらっている。ありがたいことである。
 ほかにもいっぱいの人たちがこの、アドリブもありの、舞台に参加した。宮城、山形、秋田、北海道、島根、東京、茨城、兵庫、宮崎、高知、福島、岩手、青森、千葉、神奈川、栃木…。ほかのもあった(いた)かもしれない。受講した人たちがいろいろな地域から来たいろいろな人たち(年齢も、地域も、職業も、癖も、事情も、思いも)だったので、豊かな時間と空間が生まれ、それをみなで共有できたのが嬉しい。
 反省。終了後にちょっと消耗しすぎな自分。単に酒の飲みすぎはしゃぎすぎということなのだが。馬鹿は死んでも…、である。だからこの反省も次に生かせるのか否か、自分ごとながらはなはだ心もとない。
ともあれ、最初の年の、1年に4回繰り広げられた舞台は幕を閉じた。来年度の興行は…。まだこれから、スタッフと関係者と煮詰めていく作業が待っている。