糠釜と蒸し釜

        
        

 遠野のツーリズム的飯炊きおもてなしシーンでひそかに流行っているのが「蒸し釜」(写真下)だとすると、きのうからきょうにかけて出かけてきた福島県会津坂下の飯炊きおもてなしシーンでは、「糠釜」(写真上)なるものが活躍していた。
 「糠釜」とは言うが、稲のモミガラが燃料である。もとは一体化していたモミがモミガラと米粒にわかれわかれになり、モミガラ自らが燃えつきることによって、わかれた米粒を炊いてご飯にする。ちょっとした美談ではないか。「糠釜」の場合、ウチワで火が消えないようひたすら扇ぐところも、苦労が実る、という感じがにじみ出ている。30分焚いて、5分蒸らす、とのことだった。
 遠野の「蒸し釜」の場合、蒸らしの時間のほうが長かったと思うし、炭に着火すればあとは釜のなかに羽釜を設置してしばし放置、ころあいを見計らって消火してさらにしばし放置、という放任主義である。
 この日、農泊させていただいた五十嵐さん宅は、コシヒカリをつくっていて、田んぼは5町歩ある、とのことだった。
 「糠釜」で炊き上がったコシヒカリに、会津地鶏と地ゴボウ(立川ゴボウといったかな)を甘辛く別に煮たのを混ぜ合わせた混ぜご飯。仕上がりは上品な色合いで、地鶏の旨み、ごぼうの香り、コシヒカリのモチモチ感が絶妙だった。
 手塩にかける派の糠釜と放任派の蒸し釜。でも、どっちもおいしいご飯が炊き上がるよ。