東京からの修学旅行

         
 最近、都会の子供たちは修学旅行で岩手あたりまでやってきてわざわざ田植えをする。しらけるんじゃなかろうか、と心配。いやじゃないだろうか、と不安。
 ところが修学旅行の中学生たちは、驚くことに、雲を突き刺し、青空に突き抜けるようなハイテンションボイスとともに「田植え」という体験に没入している。
 どうしたことか。
 そんなに楽しいのか。
 泥田ではだし。泥田をはだしで歩く。飛んでくる苗をキャッチする。泥が飛び散る。歓声と嬌声。
 裸足で、田んぼのなかに入ることがそんなに嬉しいのか。
 それとも、そういうことを「善き哉」という学校と学級と先生がいるのかな。
 たぶんそういういろいろなことが理由だ。だれか特別な首謀者がいるとは思えない。大きな理由があるとしたら時代かな。何十年という近代化の時代の歯車が、クルッ、て反対まわりになりそうな時期が今なのかも。
 いずれ、一部の心あるおとなたちはそんな仕掛けを、中学3年生の生徒のことを思って、1年生のときから、準備する。偉い。
 でもなぜ、そんなことをするかというと、それを受け止め、感じる若い人(中学生)がいるからだ、きっと。
 おとなはそんなに立派じゃないしね。
 中学生である、とか、社会人である、とか、一見わかったような気になる属性を土台に、考えることを癖にしていたなあ。そういうの、怠けているなあ、と思った。それを知ることができてよかった。
 そういう君たちのあしたは、まじの農家の、まじの労働が待っているよ(の筈だよね)。