進路予想

 台風23号は大変な被害をあちこちにもたらして、三陸沖に抜けたとのことで、運がよかったというべきか、ここいらの地域は風も雨もたいしたことはありませんでした。
 台風の進路予想というのはとてもむずかしいものなのでしょう。気象庁の発表をみていると時々刻々と予想進路が細かく修正されていて、しかし台風は再上陸後、なにを思ったかほぼ直角に右折しており、そのおかげでこちらに直撃してこなかったともいえるわけですが、右折の予想は気象庁もできなかったようです。予想するためのデータに含まれない要因があったのでしょう(地形の細かな部分とか)。
 朝日新聞の株式欄に経済気象台というコラムがあって、ときどき読んでは、広い世間の経済情勢なるものにふーんそうなんだと知識のかけらをいただいているわけですが、執筆者が何人もいるのだと思うなかに大変威勢のいいトーンの回があります。
 威勢がいいときには、たとえば農業は退出は自由なのに参入には障壁があって、これでは衰退していくのは当たり前であるとか、日本の企業は中国や韓国と比べトップの年齢が10歳も年上で、しかもかつての成功体験を捨てられずにおり、企業競争力において見劣りする、というような具合です。これらのことは確かにそのような一面があるのかもしれません。
 けれども違和感を感じるのは、ここで語られているときの土台に一元的な競争原理主義礼賛の雰囲気が濃厚なことです。グローバリゼーションの本質的な部分がむき出しになっている感じです。市場という同じ土俵で正々堂々戦おうではないか、みなそうやってがんばっているのだから、という立派な論法なのです。そういわれると黙るしかない。
 でも、なにもみんなで同じゲームをやらなきゃいけない道理もないはずだ、とも思うわけで、小声で、やなこったい、とつぶやいてみたくもなるでしょうし、案外そういうへそ曲がりも多いのではないだろうかと思うわけです。
 ひとつの物差しで物事を測ることにすれば(標準化を図れば)、そりゃ便利でしょう。でも違う物差しが消えずに残っていたり、いまなお存在してもいいじゃないか、違う物差しで測ることで測定できることもあるかもしれないし、とひねくれてみるのでした。
 台風だって予想はむずかしいけれど、人の社会だっていろいろな要素が複雑に絡み合っていてむずかしいはず。ひとつの原理だけから道筋を語りだそうとするのは意外にあたらないかもしれないよ、と思うのでした。