ハウル…のような

tokuyoshi2004-12-25

 わかりやすい文章を書くのは、じつはそんなに簡単なことではないのだろうなと、最近思った。
 グリーンツーリズムの人に限らないと思うけれど、情熱が沸騰していて、文章がそれに追いつかない、というような例を見ることがある。
 文章というのは文字の羅列なので、一次元の意味空間である。それを逐次、意味内容をくみとっていく仕組みだ。時間の経過とともに、ひとつひとつ場面が展開していく(そうじゃない読み方もあるし、そうじゃない文章、というのもあるかもしれないけれど)。
 でも人によってはいきなり三次元を表現したい人がいるわけで、そういう人にとって、一次元のお約束というか手続きを踏まなくてはいけない「文章なるもの」がまだるっこしいのだろうなあ。そういう人は、たぶん文章も彫刻なのだ。三次元。どこからさわってもOK、という摩訶不思議な単語の連なりができあがる。主語とか述語とか、そんなのは道端の石ころみたいな扱いで、単語をどんどん連ねていって複雑怪奇な文章をつくりあげる。まるで『ハウルの動く城』だ。困ったことにそういう文章を書く人に限って、実際に会うとたいへん魅力的であったりすることで、そうなると、わかりやすい文章を書けりゃあいいのか、という気にすらなってくる。
 文章は意味不明でも、存在が魅力的、ということをどう考えたらいいんだろう。ツーリズムに関わる地域のキーマンというのは、案外そういうタイプが多いんじゃないだろうか。であれば、ぼくの役目として、そういう人たちの思いを整流させるぐらいのことはあるかもしれない。そういう作業を「編集」というのだろうし。