シンクロとネットワーク

 『シンク SYNC』という本を読んでいる。副題は「なぜ自然はシンクロしたがるのか」というなんとも魅力的なものだ。
 その前に読んでいた『複雑な世界、単純な法則 NEXUS:Small worlds and the Groundbreaking Science of Networks』から“つながって”これを読んでいる。
 どっちも朝日新聞の書評欄からだったから当たり前と言えば当たり前だ。似たような関心事がひっかかった、ということに過ぎない。
 書かれている本質的なことはよく理解できないけれど、『シンク』がもっぱら時間的な面から、『複雑な世界…』がもっぱらの空間的な面から、世界とか宇宙とか自然とかいうなにものかについて、超越的な言葉や考えをつかわずに記述しようとする大胆で繊細な試みなのだろうな、と思いスリルをおぼえる。
 雑草が思い切りはびこりはじめ、木々の葉が森の向こうを見通せないぐらい展開し、虫があたりを飛び、馬は群れをなして草を食み移動する。自然、とかいうけれど、それを記述しようとするときに、シンクロとネットワークという時間と空間、あるいはそれらをあわせた時空的ないい表現を人は探りたい存在なのかもしれないなあ。
 宮澤賢治という人はそのような事象をそのようにすくいあげて、言葉に落とすことができた人なのかもしれない、といま唐突に思った。
 やりたいことも、やれることも、やるべきことも、不思議に満ちた世界のなかで案外シンプルなのかもしれない。