天神の山には祭りありて…

 もし柳田國男という人がおらず、『遠野物語』という本が生まれていなかったら、遠野の風景は、いま、どんなだったろう。なにも変わらなかったという答えと、まるで違っていた、という答えの幅のなかのどこかなのだろうが、それはどの辺だろう。
 ことしも菅原神社の祭りがあった。
 『遠野物語』の序文のなかの、描写の美しさできわだっていて、それゆえよく知られた「天神の山には祭りありて獅子踊りあり。…」のちょっとあとに、すっかり忘れていたけれど、こんな文章がつづいていた。
 新仏のある家でかかげる、男の人は白、女の人は赤の布をたらした灯籠木(トウロウギ(トロゲ))の話を「新しき仏ある家は、紅白の旗を高く掲げて魂を招く風あり。峠の馬の上において東西を指点するに、この旗十数か所あり。」と紹介して、
 「村人の永住の地を去らんとする者と、かりそめに入り込みたる旅人と、またかの悠々たる霊山とを黄昏は徐に来たりて包容尽くしたり。」
 死をすでに迎えた土地の人と、いまだ生の世界にいる旅の人。
 そのことを語る、いまだ生の世界にいる旅の人の、簡潔で美しい描写に驚かされる。同時に、この土地の風景がおそらくいまもほとんど変わりないことにも驚く。
 それにしても、暮らすことは「永住」であり、旅をするとは「かりそめ」であるとしたら、旅という「かりそめ」ができるということは、いまもむかしも特権的なことなのかもしれないし、ツーリズムとは特権的な「かりそめ」を多くの人が享受できるようになりつつある時代の産物なのかもしれない。
 であれば移住し、定住する、という出来事は、やがては死を迎えることで「永住」になることによって、「かりそめ」と「永住」をつなぐ橋渡しとしてあるのだろうか。天神の祭りがあって、そんなことを思った。