海のグリーンツーリズム
6月24日、25日、宮城県東松島市の奥座敷・奥松島で東北ツーリズム大学エンタテイメント学科宮城カレッジ東松島キャンパスが開催された。
初日は日差しもまぶしく、けれど風が爽やかで、二日目は雲に覆われたけれども、雨も降らず、漁船に乗って、刺し網、定置、籠という3つの漁法を見ることができた。
それにしても自信をもって船を操る人間は、立ち姿が見栄えするというか、船上で操舵の姿勢が決まっていると思った。当然ながら小船は波に合わせて揺れていて、そこでぴたっと立つのはけっこうバランスを要求する。
ウニの殻剥きも面白かった。ナイフの切っ先をウニの口?に入れて、ぐりっとはずす。出刃の根元でコンコンコンと叩いて大きくはずす、ということやり方をやっていたのは、宿泊した奥松島荘の老ご主人。
奥松島は、もちろん大江さん尾形さんが中心となってグリーンツーリズムの実践を始めたのだろうけれど、スタッフがいっぱい、というか大勢の仲間で作り上げています、という感じが随所に出ていて、それはそれはうらやましいような光景でもあった。
海に暮らすものの連帯、といったものもあるんじゃなかろうか。
山もいいけれど、潮の香りいっぱいの海のツーリズムもいい。
相手に気づくとき
家にはネコとかイヌとか馬とか(放牧中)フナとかイモリなどのペットがいて、家の外には木や草がそこらじゅうに生えていて、その世界で虫や鳥や獣やなにやかにやが生きていて、それぞれの暮らしをそれぞれのペースでやっている。
しかしおなじ空間と時間を共有しているようで、あんがい互いの存在すらわかっていない時間のほうが圧倒的に長いのではないだろうか。相手に対して無自覚というか、互いが互いを背景としてぐらいしか認知していないというようなほうが通常のような気がする。
互いの存在に気づくときは、安心か不安か、快か不快か、好きか嫌いかといった気持ちのありようがはっきりくっきりしていたり、あるいは、敵対関係というのだろうか、互いの存在に気づいたときには、相手を食べるか、相手に食べられるか、というような緊迫した場面のときのほうが多いかもしれない。
そんなことを、夏に向かっていくこの時期の、この界隈の、生き物連中たちのそれぞれの営みの熱心さから思う。
大きな木
工事が始まっている。
日々埃が舞い立っている。
大きな林道ができる。
参道に埃が立たないようにだろう、
水が小川となって流れている。
大きな杉の木をかすめて流れる清流の水を
ちょっとおすわけ、という感じでひいている。
この水は飲むことができる。
クマもタヌキもネコもイヌもヒトも飲む。
おおきな杉の木は
ずいぶん昔から生きてきて(五百年とか)、
曲り家ともいっしょだったし、
曲り家なんかない時代にもすでに立派だったろうし、
自動車とかダンプとか、
そんないまとつながっていて、
インターネットとか、
コンビニエンスストアとか、
鎧とか呪いとか、
地球環境とか宇宙とか、
それらもろもろを一緒くたの経験としている。
寿命の長い樹木はそれだけでたいしたもんじゃないか。
2年目の「いわてグリーンツーリズムネットワーク」通常総会
いわてグリーンツーリズムネットワーク(IGN)の通常総会が盛岡であった。去年の7月に設立されて、2年目。
県内のグリーンツーリズムになんらかの関わりがある人はだれであれ会員になれる。グリーンツーリズムに関わる(実践する)個人のみの会員(自治体や法人が会員ではなく)、というところ、この辺がこの組織についてはいいところ。
資金がない、というのは弱点だけれど、生まれて2年目でいたしかたない、というのはある。
でも、組織形態を重くしていないので、やりようによってはユニークな企画を実行できるフットワークは確保されている。
ビジネスを重視して経済(お金)に重点を置くか。
地域再生(集落コミュニティの再生)を重視して運動(人)に重点を置くか。
中間にバランスできるゾーンが存在するのか。この問いはここ何年も中山間地域の人々の問いでもある。
近年、廃校をグリーンツーリズム的な利用方法として再生させしつづけて、全国に名をはせる平櫛賢治氏がメンバーに加わったことは、金儲けと地域再生が共存するという問いについて、学ぶところが大きいと思う。ありがたい。
繰り返すけれど、この会の一番いいところは、会員がどこかの組織の代表とか代理人じゃない、ということだ。個人が自分の意思で参加しているかどうかの違いを見分けるのは簡単。個人参加の人々は会議中力みがない。組織を負っていないからかな。みんなの表情や姿勢に自分というものが出ていた。いい集まりに育つだろう。
課題は…。もっともっと異質な要素が(メンバーや事業内容に)必要な気がする(それは何かまだはっきりしないけれど、異分野や異業種とのつながりなんだなあと思う)。でも50%ぐらいは形が整い始めたと感じている。